1980年代中頃、オーストリアはブドウ栽培革命の真っただ中にありました。多くのワインメーカーは、最新のセラーテクノロジーを導入し、自分達のワインにより大きなバリューをもたせようとしていたのです。土着品種よりも、インターナショナル品種を栽培し、他国で同じブドウ品種を栽培し、ワインを造っている地域と自分達のものを比較し、自分達のブドウ畑のポテンシャルを再確認する、いうなれば、自分達のやっていることにうぬぼれていたのです。しかし、このモダンなやり方は、結局のところ、味わいのある種の均一化、地域の特徴を備えたブドウ品種を使ったワインの減少を導く結果となりました。世界がインターナショナルスタイルに熱狂していたころ、自国のプレミアムワインを造るにはどうしたらいいのかを考えるワインメーカーがいたことも事実です。それが、後のパノービレになるのですが、パノービレという団体が作られる以前は、オーストリーのノイジードラー湖の北東沿岸にあるワイン村、ゴルスでワイン造りをしている仲間たちが、モダンでもインターナショナルでもない、土着ブドウ品種から、土壌やキャラクター、地域の気候を生かしたプレミアムワインを造るためにはどうすればいいかについての会合を開いていました。1994年、自分達のアイディアを確実にゴールに近づけること、気づきの踏み台を作ること、そして、これらの目標をコントロールするために、Pannobile(パノービレ)という団体を立ち上げます。1998年にピットナウアーもこの団体の一員となり、ワインを造り続けています。